本日は、ライフサポート復興を支援する会にご参加ありがとうございます。
改めて心よりお礼申し上げます。
大橋仮設住宅の方々も大変喜んでくださり、お見送りには多くの方々が沢山沢山手を振って頂けました。
副自治会長もおっしっておりました。
「娯楽がなく外にでる機会のない私達は、このラーメンを通して本当に心から楽しめました。まだ3年先も私達はこの仮設住宅にいると思います。また来て欲しいです。本当にありがとうございます」
とお話しされていました。
そうなんです!!何かイベントがないと仮設住宅から外にでないんですね
ただでさえ仮設住宅生活が5年以上続いていて先も見えないのに
外にでず閉じこもってしまう。
だからイベントはどんな内容だろうがなんだろうが外にでるキッカケと、一時だけだけど、先行きの不安を忘れれるのだなぁって思いました。
リオオリンピックが終わり
「次はTOKYO」と言われていますが
違うと思います
「次は復興」
そして
「その次がTOKYO」
だとこころから思うのは私だけでしょうか?
このままでは
仮設住宅でTOKYOオリンピックを迎える被災者は数万人になります。
東日本大震災の時に
「絆」「頑張ろう日本」など
日本が一丸となり復興に取り組んでいました。
私は戦後直後の日本は知りませんが戦後日本は一丸となり復興に専念しました。
東日本大震災ではどうでしょう
「日本が一丸となり復興に専念しました
が、投げ出しました」
が適切な文になるのでしょうか?
なんだか遺憾に感じてなりません
TOKYOオリンピックで騒いでるぶん
被災地は疎外感に包まれるでしょう
だからと言って我々に国営の資金は動かせませんし一世帯すら
仮設住宅生活から次の生活に導く事もできません。
だからこそ 我々だけでも一丸となり
ライフサポート復興を支援する会を立ち上げる際に掲げた
「被災地に向日葵のような笑顔が戻るその日まで」を常に意識し
その向日葵のような笑顔はいつなのか?
決して今ではないはず だから続けましょう
我々ができること 我々だからできることを
最近は、参加人数がギリギリですが中止には至っていません
これも皆様が支えあっているからです。本当にありがとうございます。
今後も何卒、復興支援にご参加頂けますよう心よりお願い申し上げます。
今日は本当にありがとうございました。
理事長 大関真悟