ライフサポート復興を支援する会大関真悟です。
今回私達が訪れたのは、福島県いわき市平にある応急仮設住宅になります。
この応急仮設住宅には、原発20~30キロ圏内に住まう楢葉町の町民が
まとまって避難しています。
いわき市内にはこういった町単位で仮設住宅に住まう避難者が多く生活をしています。
2012年11月に我々が訪れた双葉町の方々が避難生活を送る、埼玉県加須市騎西高校も
その一つです。
東日本大震災では、大きく分けて2つの理由で仮設住宅に住まう避難者がおります。
①地震によって起きた津波によって、住まう場所を失った避難者
②福島第一原発の爆発によって危険区域に指定され住まう場所があるのに非難を余儀なくされた被災者
今回は、まさに、原発20~30キロ圏内に住まう楢葉町の仮設住宅でした。
お話しを伺うと、様々な思いや矛盾、などが次々とでてきました。
まず、住まう家がありながら、避難しているという心境
1年目 頑張ろう!一時的な避難なんだから、我々には住まう家がある!
2年目 考える 考える 考える 本当に戻れるのだろうか?
3年目 諦めなくちゃいけないんだろうなぁ 東電との保障も和解ないままだし
1行で纏めさせていただいたのは、失礼ですが分かり易くする為であり、この1行には
本当に本当に様々な思いがあるのは言うまでもありません。
福島原発で作られていた電力は、都会に住む我々が享受しておりました。
そして、震災後原発周辺の町民は、住まう場所を失いました。
町民にとって受け入れてくれと言っても、とても難しい話でしょう。
楢葉町民も現状から歩き出したい一心で、様々なデモ活動にも参加されたそうです。
しかしながら、
笑顔の握手で対応する国会議員や、原発立地自治体と政府との交渉の席で、挨拶だけして帰ってしまう大臣、官僚任せといった態度、 町民への国の対応は、正に、この国の政治のありようであり、中身のない形式主義を痛烈に感じさせらたのは、双葉町の避難所に炊き出しに行った際も感じ、今回もやはり痛感しました。
さらには、東電との新たな土地購入や保障も、平行線をたどるばかりか、最近では
何ら進展もないまま、噂すら聞かなくなってしまったとの事です。
しかし、私達は、東日本大震災以来、様々な仮設住宅に炊き出しをし、様々な被災者とお話ししてきました。
例えば、石巻の仮設住宅と比べると、楢葉町の応急仮設住宅内では、
至る所で住民同士、立ち話や交流が見られました。
石巻の仮設住宅は数も万単位ですので、抽選でどんどん入居させたのがその違いを明確にしていて、石巻の仮設住宅では、それほど仮設住宅内の交流は見受けられませんでした。
町ごとの避難と、抽選で仮設住宅に入居したのとは、大きな大きな違いがあるのだと
考えさせられました。
写真にもある通り、ここ楢葉町の応急仮設住宅の縁側ではご年配の方達が楽しそうに
お話をしていました。
その姿を見て少しだけホッとしたのは、私だけではなく、石巻復興を考える市民の会の
藤田代表もおっしゃっておりましたし、今回の参加者の中でもそういう声がありました。
そして、ラーメンの炊き出しはこの楢葉町の応急仮設住宅では初めてで、
ありがとう」「ご馳走様」と沢山の温かい声を頂きました。
しかし、我々は忘れてはいけません
東京に住まう私達は、忘れてはいけません
遠くの過疎の町に犠牲を強いて作られた電気を都会に
住む我々が享受してきたことを ・・・・・・。
決して忘れてはいけません・・・・・。
我々、ライフサポート復興を支援する会は、被災地や避難者にひまわりのような笑顔が戻るその日まで、復興を支援する事をお約束いたします。