震災から2年を過ぎた石巻市門脇小学校の校庭の端にあった子供用のソウルが焼けた靴、門脇小学校は、震災時、船のオイルで全校舎を火が覆い全焼した。
今回私達が訪れたのは、宮城県石巻市開成仮設住宅になります
14の仮設住宅 1142戸数 約5000人の避難者が住んでおります。
朝はまだ寒いですが、
ようやく被災地にも春が来たような暖かさが日向では味わえます。
今回は400食のら~めんを炊き出しました。東日本大震災発生当初から改良を重ねたら~めんは、今や焼きチャーシューや水餃子がしっかりダシの取った豚骨醤油のスープに良く合います。11時スタートだったのですが、11時前には長蛇の列ができあがっておりました。
衆議院の阿部知子先生も駆けつけてくれて、現場は一層賑わいをみせました。炊き出し後も阿部知子先生は、ずっと、被災者の方達のお話を正面から聞いておりました。
帰りに女川町を通った際に、元七十七銀行女川支店跡地を通りました。そこには
1つの看板が掲げられておりました。こう書かれてありました。
私達家族の思い
2011年3月11日、七十七銀行女川支店行員13人は2階建て支店屋上に
避難しました。
約30分後、津波は屋上まで達し、12人が犠牲になりました。
なぜ? 屋上への避難指示が出されたのでしょうか?
走れば1分で行けた町の指定非難場所高台があります。
なぜ、屋上で待たなければならなかったのでしょうか?
このような形になって、どんなに悔しかっただろう。悲しかっただろう。無念だっただろう。
屋上への避難指示は、「やむをえなかった」ことなのでしょうか。
2度とこのような事が起きないように、原因をしっかり究明していただいて、改善策をしていただければと思っております。
被災者家族会
七十七銀行の件は テレビでも知っていましたが、こうして現場で被災者のご家族のお気持ちを拝見するとなんとも切ない気持ちになりました。
被災地では、今でも様々な問題を抱えております。
決して復興が終わっているなんて言えません。どうか風化させないようにしなくてはいけないと心から思いました。