東日本大震災から3年

ついに、東日本大震災から3年の月日が経ちました。

今回は、石巻の中心から1時間ほど車を走らせた牡鹿半島は、『給分浜さくら畑団地』

に行って参りました。

冷たい風と吹雪の中、ラーメン炊き出しの段取りをしていると、おばあちゃんが話しかけてくれました。

「寒いなぁ、3年前のこの日も同じ寒さだったよ、お腹から下は2日間ずぶ濡れのまま

だったんだよぉ」

えっ? こんな寒い中、津波の海水で2日もずぶ濡れのまま?

「だけど避難者のだーれもが文句ひとつ言ってなかったよぉ、この辺は、ただでさえ町民が少ないからねぇ、救助も相当後回しになるって覚悟してたからねぇ」

この日の石巻市の朝は、マイナス1度でした。海風の強い地域なので、体感はもっともっと寒い、水を触れば手が凍るような痛みに襲われます。

今日でもう3年が経ちますが、仮設住宅からの先が全く見えないのが現状

家を建てる土地はあるが、一度津波が来ている場所なので市の承諾がおりない・・・。

そんな人達だらけなのである

 

ある地元ボランティアの人のつぶやきを紹介させてください(以下参照)

年という月日は、とてつもなく長いということを痛感する。自分の中では、2011年3・11から、人生という時計の針は、止まったまま。3・11にあった出来事は、強烈に記憶している。「お米、10k2980円だったよ」と嬉しそうに話すお袋の顔を、今でも鮮明に記憶しているんだ。その数分後、巨大津波の直撃を受け、家族はあっけなく、死んでしまった。でも、世間や世界からみれば、震災で人が死んだ。たった「それだけ」のことなんだな。震災当時の「絆」の大合唱。カエルの大合唱よりも煩かったはず。...実は、俺は、当時から「絆」を連呼する集団、人には違和感があった。「さて、あと何回、被災地で会えるものやら?」と、冷めた目で眺めていたんだ、本音を言えば。予想した通り、人びとは消えた。でも、それを恨む気持ちもない。なぜなら、人というものは、そんなものだから。
人生の時計は止まったまま。食べたいと思うものを、ついに見つけることもできず、あれほど大好きだった楽器も、いまだに触ることもない。大量に本を読んでいた自分が、震災後、1冊の読書もしていない。自宅の回収は不完全のままであり、自宅には洗濯機すら設置できず、また、TVも観た記憶もほとんどない。
俺は壊れているんだ、そんな気もする。時間が止まったままだからね。他人が幸せになることは(それを眺めていることは)、素直に幸せを感じる。しかし、では、自分にとっての幸せとは、結局、なんだろうか?この3年間は、死に物狂いだった。団体も、俺も、遊んだ記憶はない。その時々、精一杯だったと思う。で、、、月日は流れ、3年だ。結人生の時間が止まったまま。
この感覚を、どのように伝えればよいのか、それがわからない。
死んだお袋は「感動したり、感激するのはね、若い時だけだよ。歳を重ねると、感動するってことが無くなるよ」と言っていた。ということは、俺は、単純に、老化したってことなのかな?目下の悩みは、食べたいものがないということ。幸せって、何?それもわからなくなったということ。自分の幸せという意味は、さらにわからなくなってしまった。人生を見失い、「感動する」という感覚も失い、人生航路の進路の発見すらできずに路頭に迷っている自分がいる・・・・・。

 

とお話しされました。こうして本音を話してくれる人が増えてきた気がする。

だからではないが、私たちは私達の精一杯の復興支援活動をさせて頂きます。

被災地に向日葵のような笑顔が戻るその日まで・・・・・・

 次回炊き出し予定

 次回炊き出し予定は、

2024年 11.24

能登半島七尾予定

朝9時集合

バスも池袋からでています

是非、ご参加及び協賛をよろしくお願いいたします

  協賛募集

協賛金の振込先は以下になります。

 

りそな銀行

本郷支店 

普通 1820959

名義 

ライフサポート復興を支援する会

 

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