東日本大震災から2年6か月

 

先日、東京オリンピックが決まり、浮かれていた私に
宮城県の被災者でありながら、ボランティア団体の代表をしている方がおっしゃっていました。

以下被災者の生の声をまとめました。

かけがえのない自分の家族が一瞬にして死んでしまう
それが「どんなものか」理解できないでしょ
人は「時間が経過すれば、傷も癒えるよ」と慰めてくれたけれど、
それは「嘘」だったよ、時間の経過とともに、家族の笑顔を思い出し、
感情が「グチャグチャ」に壊れてゆくんだ
当然、それに耐えられない遺族というものがあり、
自殺をするもの、あるいは精神を病んでゆくもの、その運命は様々なんだ
自分が生まれ、小学校に通い、いたずらもして叱られて、そしてだんだんと大人になってゆく。
自分の街というものは「存在して当たり前」だから、
ほとんどの人は、その存在を意識することも、ほとんどないはずだ。
しかし、ある日、突然に、一瞬にして故郷は崩壊する。
長い間、慣れ親しんできた「左の角を曲がれば魚屋さん」があり、
右折すれば「酒屋さん」だったはずの町並みも、存在しないんだよね
慣れ親しんできた「町並み」というものが、実は、人の「精神の安定に寄与」してきたということを、初めて知るんだよ、さらにいえば、
目印だった建物や風景が破壊されることによっ捜索するが、
奥さんも娘さんも、見つけることができない「最初はね、避難所【だけ】を探したんです。意地でもね、、、、」と。
でも、時間だけて、「方向感覚」を完全に失う。目的地に到達できなくなるのだ。
俺の地域は、壊滅的だった。目の前の風景は、信じがたいものだった。
「これは夢ではないか?」と思うも、
否定できない現実だ。いつだったのか、記憶も定かではないけれど、
郵便局員さんと話をした。切手を買いにいったのだ。
自動販売機は破壊されており、レジも計算機もない郵便局では、手計算で会計をしてくれる。その局員と話をしたとき。
その局員さんは
「朝、早番のときには娘が寝ているので、寝顔だけ見ることにし、そーと家をでます。
でも、3・11の時だけ、なぜなのか、娘の顔を見ずに家を出ました。娘の安眠を妨げるような気がしてネ」
と。
そして3・11が来たんだ、その郵便局員さんは、
その後、ありとあらゆる場所をが経過し、避難所で家族を発見することができない。
「ああ、いよいよ、遺体安置所に行かないと駄目なんですかね」と彼は思い、
当時「東松島市」に設置された遺体安置所に向かった。
そして、家族を見つけたのだった。
彼は「こんなことって、ありますか?
娘と、女房が、【別々】に、引き離されて番号を付けられて【野菜】置き場の野菜のように、無造作に並べられていたんですよ。それはあまりに残酷だ。だって【家族なんです】よ。だから、僕は警察と市にお願いして、「せめて親子を一緒に並べてくださいよ、とお願いしたんです」って

話は変わります。
ある有名なロックバンドが、僕達を支援してくれた。
彼らは被災者を数名、仙台市のライブに招待してくれたのだ。
招待を受けた被災女性たちは泣いていた。
俺は、「ぼんやり」と、その風景を眺めていたさ。
コンサートが終わり、少し仙台で食事することにした。
明るい感じの女性だったけれど、彼女の父親は、津波に飲み込まれ間一髪で脱出できた。
「助かった」と思ったのだけれど、
その後、避難した小学校体育館の「あまりの寒さ」に、結局、命を奪われてしまった。
彼女は
「残念だったけど、それも父の運命だったのかな?と思います。でもね、許せないことがひとつありました。それは、行政なのかよく分からないけど、父をブルーシートで【ぐるぐる巻】にし、頭部と足首部分をロープで締め上げて、トラックに「産廃ゴミ」を放り投げるようにしたのです。それだけは絶対に許せなかった。【あんたたち、それはゴミじゃなくて、私の父親】なんだよっ!」と絶叫しました」と。

話は続く
残酷な話は、いくらでも話せるさ。
でも、話しても、結局、
「ぴーんと」こないだろ?
福島でいえば、津波に襲われ「救助できなかった」
自衛隊員は、その凄惨な被災現場で
「明日、絶対に助けにくるからなぁー、頑張って待っててくれよー」
と絶叫して、現場を離れた。
でも、その「明日」が永遠に来なかったんだ。
なぜかって?「福島原発事故」が発生していたからさ。
隊員を危険に晒すことはできなかった。でも、福島で被災した木田さんは
「絶対に助けを求めていた生存者はいたと思う。あの自衛隊員の絶叫を信じて待ち、そして絶命していったんだ」と。
福島原発事故の深刻さから、津波の恐怖が去っても、
遺体を回収することはできなかった。被曝する危険があったから。
遺体は、白骨化した。綺麗な状態では遺族に返せなかったのだ。
俺たちはさ、、、、、。そんな「実話」を背負って、今、生きているわけ。
「時間が経過すれば、心の傷も癒えるはずさ」と慰めてくれるけど、それは「嘘」なんだよ。
傷が癒えることは、絶対にない。時間の経過とともに、ますます、傷口は拡大してゆくんだな。
石巻の仮設住宅での避難生活も、
悲惨だよ。貧困の極み。そして、福島に至っては、放射能の問題が、致命傷となっている。東京オリンピックを「楽しみましょう」と言われても。
「どの面下げて」楽しむのか教えて欲しいなぁと、私に笑いながら話してくれた・・・・・・。
私は、東京オリンピックは本当に嬉しく思います。
被災地には30万人を超す被災者が仮設住宅で暮らします。
被災地の現状は変わりません。むしろ、震災後、仮設住宅で3年目を迎えていえる
被災者の方達は、疎外感を強く感じているでしょう。
7年後に現在30万人が暮らす仮設住宅が1つもなくなる公約を日本国は取るべきとも思いますが
無理だろうな
このままでは、自殺者が後を絶たない・・・・・。今日も、明日も、明後日も、
被災地は復興していません。被災地は全く復興していません。
被災地は全然復興していません。被災者は、今日も自ら命を絶とうとしている。
それでも、皆さんは背を向けますか?
同じ日本で苦しんでる人たちが大勢いるのに・・・・・。
一度被災地に足を運んでみませんか?
私達ライフサポート復興を支援する会は、被災地に向日葵のような笑顔が戻るその日まで
我々のできる精一杯の復興支援をしていきます。

 次回炊き出し予定

 次回炊き出し予定は、

3月11日 石巻追悼ボランティア

3月23日 名古屋路上生活者支援活動

3月30日 能登半島七尾ボランティア

5月25日  石巻市 春祭り

  協賛募集

協賛金の振込先は以下になります。

 

りそな銀行

本郷支店 

普通 1820959

名義 

ライフサポート復興を支援する会

 

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