女川町は
宮城県にあり、太平洋沿岸に位置する町である。
日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。
この町の女川駅周辺は、宮城県内でも最も大きな津波が町を襲ったと言われている。
東日本大震災時、町民の皆さんは、手を取り合って
写真の丘の上に位置する女川町立病院に避難したのでした。
女川町病院の駐車場は、避難者の車でごった返していたそうだ
その丘の上から、津波が押し寄せてくるのを見ていた女川町の人々・・・・・・。
地上から20m以上も高い部分に避難している訳だから安心して当然・・・・・。
しかし・・・・・
しかし、その津波は、みるみる丘の上の病院を襲ったのだった。
下の写真は、丘の上の女川町立病院の1階部分、
1m90㎝もの津波が押し寄せたのだ。
つまり水量でいえば、丘の下の部分も含めとんでもない量になるのだが
その津波の強烈な引波によって、病院に避難してきた避難者を車ごと、ことごとく
飲み込んでいった・・・・・。
この事実を、一人でも多くに知ってもらいたい、そう語るのは、
石巻市復興を考える市民の会代表者 藤田さんである
あの日を風化させない!
同時に「原爆」が投下された被害に匹敵する、約20mの巨大津波によって破壊された・・・
女川は壊滅的な被害を受けました。
藤田さん自身も自宅で巨大津波に被災して母親と同居中の叔母が犠牲者となり、
ライフラインが絶たれた中での想像を絶する被災経験をした一人なのだ・・・・。
現在の女川町は、ガレキ処理に追われているが、分別するので精いっぱいなんです。
『絆』という言葉が嘘にならないように
各、都道府県で協力しあってもらいたいものです。
ライフサポート復興を支援する会は、今回
女川町女川町清水地区仮設住宅にて、恒例の炊き出しを
実施しました。
この地域は、炊き出しが滅多に来ないという事だったので
喜んで向かいました。
被災者が立ち上がった「石巻市復興を考える市民の会」代表の藤田さんは
言います。
被災地は、未知数の復興が必要としている
勿論、被災者達も頑張っているが限界があります。
「自分になにができるか?」と 考えてられる方も多きようですが
はっきり言います。とりあえず「来てください」何もなくてもいいので
その力は、万人の被災者の力になりますから
「来てください」
行こう!これからも
行こう! 何にもなくても できる事が見当たらなくても 船がなくたって
行けるんだから! 今からでも、あなたを必要としてるんだから
もう、背を向けないで! 同じ日本人が こんなにも苦しんでるんです。